つかんではなす

何かをつかんでははなしてしまう。そんな毎日を過ごしています。

そこそこ苦労してジョギングしていた人生がわからんくなった話

大手企業に入社して一年目、生きる意味がわからなくなった。 これはきっと収入も安定しているし、やりたいこともなんとなくわかってきてしまっているし、とかの影響もあるんだと思う。 私は今後どうやって生きていたいんだろうかって。

自分で言うのもなんだが、私は結構特殊なパターンなのではないだろうか?

ちょっと自慢させていただきますと、高校は都内の割といい国立高校に通い、大学は割といい頭のいい国立大学で学士号と修士号を修めた。 現在は、割と世界的にも有名な大企業で研究者の職務に従事している。

まあ、ここらへんに関しては、社長や実業家が多いブログ界隈では割と一般的なスペックだ。

では、何が特殊か?

ちょっとここで私の昔話をさせてくれないか? あれはもう何年も前のことだった。 その頃、私は肌もツルツルぷにぷにの小学生だった。

我が家は、共働きだったため、私は祖父に預けられ、祖父の家で寝泊りをしていた。 内気で友達も少なかった。 数少ない友達の両親も共働きである影響で、学童に通わされていて、その友人と遊ぶのは毎日とはいかなかった。 生憎とひとりで公園へ行き、新しい友人を作って楽しく遊ぶような努力を惜しんでいたためか、友情も勝利も得られなかったが。 そうなってくると、家にいるしかない。 家にいれば祖父祖母がいるわけだが、2人は趣味に忙しい日々を過ごしていて、私は放置される。 気がついたらアニメを見ていた。 我が家のアニメ環境は、当時にしては良好だったよ。 ケーブルテレビと契約していたもんだから、一般的な地上波放送に加え、アニマックスやらキッズステーションやらカートゥーンネットワークやらと、 リアルタイムでやっている国内アニメに限らず、昔やっていたアニメやら海外アニメやら様々な作品を延々と見続けられたんだもん。

当時、好きだったのはシャーマンキングとドランゴンボール、ちょっと遅れて鋼の錬金術師。 リアルでは得られなかった、努力・友情・勝利をここで得た。アニメって素晴らしい。 おジャ魔女ドレミ?明日のナージャ?割と好きだが、興奮するほどかっこいいという印象を私は受けなかった。 まあそうなるとオタクになるわけさ。 ハガレンエドの声を演じていた朴璐美さんにハマり、朴璐美さんの作品をあさり、気がついたら声優になりたいという気持ちが芽生えていた。

その一方で、当時は、親の立場からしてみればアニメは悪の存在だった。教育上よろしくないと。 まあ、そう言いたくなる気持ちもわからなくもない。 出てくるキャラの言葉遣いが悪いんだもん、ヤンキーキャラとか普通に出てくるし、殺すとか殴るとかそういった表現が結構普通に出てくるし、なんだったら見せ場として滅茶苦茶かっこよく表現されるし。カメハ波、ドドン波、私もよく練習したよ。仙豆とか言いながら節分の豆食べてた。 性を感じる作品もあるし。女性胸部臀部が強調されていたり、なんだったらガッツリ見えていたり。水をかぶると女の子になっちゃう設定はとても好き。半分人外なのに新月の夜は人間になってしまう設定も好き。女なのに男の子として育てられちゃうとかめっちゃかわいいな。あの作品の作者は多くの人の性癖を作ったと思うんだ。

映画感想「Greatest Showman」

公開後から友人と姉に勧められていた作品。 ミュージカルものはあまり見ないのですが、この度見る気になったので鑑賞してみた。 その記録として、以下に感想(個人的意見)を綴る。

ストーリーについて

映画としては展開が早いが、ミュージカル映画としてはこれが妥当? しらんけど。 ミュージカル映画はあまり見ないし、見るのはインド映画だから。 インド映画もよくしらんけど。 30分x12話で、色々と問題が起こって解決していくストーリー展開に慣れている身としては、このストーリー展開の速さにはなんとも思わないのよな。 アニメによって調教済みである。

キャラクターが多く、またそれぞれで個性が強い、その上早い展開のストーリである分、一度見るだけでは理解できないほどの情報が詰まっている。 何度も見て、何度も感動する作品なのではないかなと思う。 幸いにも映像とそれをあきさせない。

話の本筋は王道。 未熟な主人公が失敗と成功を繰り返し成長していき、周りの人からの支えで本当に大切なものを見つける、っていう。 下流階級にいた幼い頃のバーナムは、成り上がって上流階級になることが幸せだと信じてた。 なぜなら、みんながそう思っていたから。バーナム効果に陥ってしまったのだと思う。

バーナム効果
みんなに当てはまるものが自分にも当てはまると勘違いしてしまうこと

しかし、自分を受け入れて幸せになる個性豊なサーカス団員達に励まされて、みんなが望む幸せが必ずしも自分にも当てはまるとは限らないということに気がつけた。 散々、バーナム自身が色んな人に「this is me」と唱えて励ましていたのみかかわらず、自分自身そのことを理解できていなかった。自分に自信を持ててなかった人たちに、家族や居場所を与えたのに。自分が背中を押した人たちから今度は自分が押される。優秀だけど大分抜けているバーナムが滑稽で、だけど愛おしくなる。

チャリティーが本当のことを言わず、誇張表現で嘘をつくようなことを繰り返したことは、幼い頃に正直に話したところチャリティーの父に頬を打たれたことから来るのではないかなと思う。あれです、チャリティーがお茶のお作法を勉強していたところ、仕事で来ていたバーナムが面白いことしてチャリティを笑わしてお茶を吹かせるシーンです。

歌とダンスについて

曲とダンスがいい!って言われて、この作品を見たが曲に関してそうでもないなーって思ってた。 わたしが好きな傾向の音楽からはなれているから仕方がないね。 あまり聴き馴染みのない音楽には感動を覚えにくいものだ。 色んな感動を知れた方がいいと思うから、これを機会にしばらくはgreatest showmanのサントラをリピート再生するかな。

あんまりとかいいつつも、すごいなとは思うのです。 あれだけ人数いるのに、あの一体感。迫力もある。 どこを見ても楽しい。何度も見たくなる。 また役者さんの表現もわかりやすくて、パフォーマンスを見るとストーリーを思い出す。 1曲でも見直すたびに思い出されるストーリー、その度にまた映画を見直したいなって思うようになるんだろうな。 1曲1曲のパフォーマンス性の高さや舞台装飾、ライティングとかとかとか、素敵だ。

バーナム・サーカス団員とリンドについて

他のレビュの中でサーカス団のショーとオペラ歌手の歌を比較してどっちがいい、とかそういう話をしている方を見受けたことがある気がするが、私はそういう話なのではないかと思う。 どちらも自分の個性と自信を持っていて、それを芸術らしくパフォーマンスをしているからみんなに感動を与えるんじゃないかな。 彼女が歌っているシーンは、何かから足掻いている姿のように見えて、とても感動した。2度目に見たときに、彼女の過去を知った状態で聞いたときは、涙が止まらなかった。 これは私の好みもあるが、自信を持って明るくパフォーマンスしている姿よりも、何かを求めて足掻いている姿の方が心が動かされてしまうので。

彼女が首を晒して上目遣いで、自分が隠してきた過去を語られて、強いと思っていた女が自分にだけ甘えてきたとあったら、おちない男などいるのか? 答えは、否。(反語)

閑話休題、バーナム・サーカス団員達も、自分達がマジョリティに受け入れられないことに強い思いを持って、「this is me」をパフォーマンスするシーンは感動した。 歌やダンス以上のパワーがあるのだから。 信じたいと思った人間に裏切られたことを嘆くのではなく、強く主張する姿が本当にかっこいい。 そのシーンでのキレのあるダンスは頭にこびり付いている。 堂々とした立ち姿は、彼女達自信をちゃんと見たい、って思わせる。

テーマについて

最も崇高な芸術とは人を幸せにすることである。

幸せにする方法が、洗練されたオペラ歌手のショーだろうが、ゴミ貯め育ちの外れ者のショーだろうが、人を幸せにすることができれば、それは芸術なんだと思う。 上流貴族が芸術と考える劇場での劇も、歌姫が奏でる旋律も、バーナムがプロデュースする馬鹿騒ぎ(サーカス)も、確かに芸術なんだ。

バーナムが詐欺まがいに盛った話をしたら、みんなは感動してくれた。 「this is me」だ、と敢えて自分のコンプレックスを誇張してパフォーマンスをしてでも、感動を創り出す。 これってエンターテインメントの本質だなと思った。上流階級には誇大広告を行うバーナム氏へ酷評を送る者も多かったが、ペテン師がプロデュースするエンターテインメントに感動する観客も実際に多い。何より、Greatest Showmanを見た人自身、そうなのではないかと思う。

余談だが、 髭面の大柄な女性がドレスを纏って出てきたら、わたしはきっと笑う、お笑い芸人を見るときのテンションだ。 でもそんなビジュアルの人から、あんな美声で素敵な音楽が流れてきたら、きっと全身震える。

おまけ

  • 小人に世界一の巨人の名前をつけたのは随分と皮肉だと思った(チャールズ)
  • 世界一の巨人であるチャールズは、アイルランド出身らしい。彼も見世物小屋で働いていた。(アイルランドの巨人)
  • イギリスに「親指トム」という童話があり、その主人公が親指サイズの小人(親指サム)
  • 成り上がり(ピーナツ)はアメリカのスラング。「ピーナツ スラング」で色々意味が出てきます。「サラリーが少ない」って意味もあるらしく、転じて「下流階級」って見下しているいたのかな?
  • イラリア・ミラノにある歌劇場。高貴で裕福なお貴族様の社交場。(スカラ座

映画感想「To young to die! 若くして死ぬ」

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途中でロックミュージックが始まったり、激しいパフォーマンスが始まったり。 映画としては新しいジャンルな気がする。(適当)

激しいロックやストーリー、キャラクターの気性などもあり、音声だけを聞いていても面白いなって感じた。 個人的には、ベースとかドラムとかの演奏している姿を見るのが好きなので、楽器を演奏するシーンは食い入るように見てた。 かっこいいね。 シシドカフカが頭振りながらドラムを激しく叩く姿は何度見てもかっこいい。

下ネタがところところ入っているのとか、演者さんが演技で笑いを取ろうとするところとかは、黒田勘九郎っぽくて笑えた。 何回、セッ●スって言うのよ笑

神木くんはやっぱりギャグと青春の中間みたいな作品にぴったりですなー。 青春くさい作品は、自分が青春をできなかったって思っている分、嫉妬心とかがあって見れないけど、神木くんが出ている作品は見てしまう。 少女漫画みたいなキラキラした青春じゃなくて、男子高校生らしい感じが出てくるから安心するのかも。 作品の中でも、修学旅行で女子風呂除いたり、好きな女の子を夜這いしたり、バスで隣の席に座ろうと画策したり、自分をアピールしようと自分を誇張表現というかよく見せようとしたり。 好きだけど好きっていえないよ、みたいな恋愛作品は歯痒くて苦手だけど、お笑い芸人の恋愛ギャグネタ帳みたいな作品は好き。 心の葛藤とかじゃなくて、自分で行動して成功していこうとする感じがする。 そういう悪あがきするって演技をする神木くんが、きっと私のツボなんだろうなー。

地獄のカオスに対して、天国のもの寂しさはちょっと心に響いた。 地獄から天国に行った瞬間、いきなり視界がクリアになるんだもん。 きっとこの映像を映画館で見たら、目も頭もチカチカしてたんだろうな。 飛行機のファーストクラス席みたいな和式便器にみんなそれぞれ入って、輪廻転生できるときまで自分の好きなように時間を潰す感じ。 ただし静かじゃないといけないのだけれど。 これもこれでカオスだな。 関が白いアコスティックギター持って、近藤の曲を演奏するシーンは、カオスがまさってイマイチ感動しなかったなー。 死神の心には響いたみたいだけども。 死神以外の人たちの心には響かないのかーいって思ってしまった。 あれだけ関自身も評価して、静かな空間で一人演奏して、天国の役員とも戦って、いろんな人に聞かせたのに死神以外は無反応。 でもしっかりと死神には届いているから、それで満足した関はスーサイド。って。 んー、7回輪廻転生したのに、それでいいのかい関くん。 普通は頭がおかしくなるから記憶をなくして輪廻転生するんだぞ関くん。 あ、頭おかしくなって頭のネジがゆるゆるになっちゃったっていうフラグ回収かい関くん?

映画の映像として見せるような場面はあまりなかった気はする。 情景の美しさとか、一枚絵として記憶に残るような印象とかとか。

16歳は特別な年齢なんですかね。 眠れる森の美女のオーロラが呪いによって眠りについてのも16歳。 最近、ハマっているゲームの監督生の年齢も16歳。 盗んだんバイクで走り出したのは…15歳か。 まあ、いい。やっぱり15,16歳はなんか特別な年代な気がしてしまう。

僕が16歳のときは、真面目に勉強して、アニメ見て、小説読んで、バスケしてたな。 全く青春っぽいことした記憶がないなって思ったけど、文字面見たら、勉強とバスケが入ってる。 割と青春っぽくないか?

映画感想「きっと、うまくいく」

日の出の勢いで躍進するインドの未来を担うエリート軍団を輩出する、超難関理系大学ICE。エンジニアを目指す天才が競い合うキャンパスで、型破りな自由人のランチョー、機械より動物好きなファルハーン、なんでも神頼みの苦学生ラジューの“三バカトリオ”が、鬼学長を激怒させ、珍騒動を巻き起こす。 抱腹絶倒の学園コメディに見せつつ、行方不明のランチョーを探すミステリー仕立ての“10年後”が同時進行。根底に流れるのは学歴競争。加熱するインドの教育問題に一石を投じ、真に“今を生きる”ことを問いかける万国普遍のテーマ。(C)Vidhu Vinod Chopra Production 2009.All rights reserved <きっと、うまくいく(字幕版) - amazon prime video>

友人の勧めで見てみました。

インド映画って、いきなり踊り出したり、歌い出したり、よくわからないテンションでストーリーが進んでいくし、で私にはついていけなくて面白くないだろうな、という先入観を持ってた。 けど、違ったわ。 普通に面白かった。 なんだったらもう一度みたいレベル。 上映は3時間なのにもう一度みたい。 それくらい面白かったよ。

pdflatex + CJK をどうしてもやりたかった

latexで画像を貼るとき、何度もコンパイルしてみて画像のサイズを調整をするのは面倒です。 また、画像の大きさを微調整しながら、具体的な数値をbondingboxで指定するのもなんとなく嫌だなーって思ってました。

\textwidthを駆使して画像の横幅をテキストの横幅に合わせて自動調整してくれるような記法がありまして、これ便利で好き。ファイル形式も指定しなくていいところも好き。

\includegraphics[width=0.8\textwidth,height=\textheight,keepaspectratio]{file}

keepaspectratioで画像の縦横比固定です。

このkeepaspectratioやファイル形式未指定は、platexlatexでは使えず、pdflatexでないといけないらしいのです。 しかし、pdflatexは日本語未対応なのです。

そこで、pdflatexを日本語対応させるために必要なパッケージがCJKパッケージなのであります。

以下がサンプルコード。

% encoded in UTF-8
\documentclass[a5paper]{article}

% パッケージ読み込み
\usepackage{CJKutf8} %CJKパッケージ
\usepackage{graphicx} %figureパッケージ

\begin{document}

   gazo is image. 

   %begin: 個々の和文箇所を CJK 環境で囲む。
   \begin{CJK}{UTF8}{ipxm}
      画像はイメージです。
   \end{CJK})
   %end-------------------------

   \begin{figure}[位置指定]
      \includegraphics[width=0.8\textwidth,height=\textheight,keepaspectratio]{file}
   \end{figure}

\end{document}

<ipxm>は、「IPAex 明朝」フォント(CJK用)のファミリです。 自分の好きなフォントに変えてね。

これでできた!

参考

https://qiita.com/zr_tex8r/items/cdaac1500718eb9fa330

全てが止まったので会社の仕事を一時やめてしまった話

私は会社員です。

職の性質上、業務内容には必ず特許執筆がねじ込まれてきます。 特許を書けば、少しではありますがお金が入ってくるし、転職する際にも役立つし、会社の中でも重要な成果となるので、それなりにメリットがあります。 ですが、正直今の私にはこれ以上特許を書き続けることがしんどくて、書くことを諦めました。 IT分野で特許出願を試みているのですが、私自身まだその分野に明るくなく、その上特許を書くことも初めての新人なのです。 そんな中、指導員に相談しつつ悩みに悩んで、調べに調べて特許を書いていきます。 文書作成において当然のことだと思うのですが、作成した文書は他書に添削してもらうものですね。 悩みに悩んで書いた文章の添削を指導員に依頼すると、その日か次の日くらいには修正箇所の指摘コメントが返ってきます。 それが数回で済まず、何回も続きます。これも当然のことです。 でも私にはそんな状況が耐えられなかった。 調べて悩んだ書いた文章も図も、全て見ていないかのようなコメント。 指導員も指導員で自分の仕事をで手一杯なのはわかるが、私も私でなあなあな返事をされても露頭に迷うしかなくて困ってしまうのです。

それでもこれでお賃金をもらうため、自分をなんとか保ちます。

「逃げちゃ駄目だ」 -新世紀エヴァンゲリオン-

こんなもんやってられるか!犬にでも食わせておけ!

正直特許の内容的には社会に出したところで誰かに使ってもらえる気がしないし。 なんだったらすでに商品化されてるでしょ...n番煎じも大概にしろください。

私、がんばれ! 「どんな戦況でも逃げちゃ駄目だ」ってジャイアンが言ってたもん。

しかし、その時はやってくるんです。

全部俺のせいだよな。

こんな俺をきっとロマネコンティ氏は許してくれない。

「アナタ怠惰デスね?」-『Re:ゼロから始める異世界生活』-

これは軽くトラウマものです。

面白おかしく書いていますが、特許の話になると、本当にタイピング速度が遅くなるしタイポも増えるし、頭の回転がいつもの1/100くらいになっていたので、 本当に精神的に参ってしまっていました。 夜は寝られないし、朝は起きれない。 感情はコントロールできなし、食欲も止まらないし、いつも絶望感に打ちひしがれる。 おまけにコロナが流行っているから、土日になっても遠出をしてパーっと遊びまくるみたいなこともできなし。

しんどい日々が続いていました。

私には姉が一人いるのです。彼女に会社の愚痴を聞いて欲しく、お酒を飲みながら話してみたのですが、彼女も彼女で精神が強くない人なので、逆にストレスがたまる羽目になりました。アドバイスが欲しいんじゃなくて、ただ話を聞いて欲しいだけなんだよ。自分だって同じような立場に立ったことがあるんだから、この気持ちを理解してくれてもいいんじゃないか。もう彼女に何かを相談することは諦めますね。

大好きだったアニメも音楽もみる気力がなくなる日がくるなんて...。

そんなこんなで、今は一旦お仕事をおやすみして、精神状態を安定させることに集中しようと思います。 幸いにもこうやって文字を通して自分の気持ちを吐露することに関しては、ストレスフリーに行えるので、自分の好きなように文章をかくかく。

「国の借金」とは?

国会議員さん、めっちゃもらってますねー。 その金額分の大層な負担とか責任とかを持って、国民全員が幸せになれる国家になるよう勤めていただきたい。 まずはこうやって様々なところから攻撃されないくらいの働きをね。

このツイートのリプにあった「国の借金」について、何なのか知らなかったので調べてみました。

「国の借金」とは?

  • 「日本政府」(債務者)が「日本国民」(債権者)に借りている借金のこと。
  • 日本国民から借用している国債国債及び借入金並びに政府保証債務現在高)のこと。

「国の借金」は、政府の借金(国債)、金融機関の借金、非金融機関の借金、民間の家計、etc... で構成されるらしいのです。 ですが、一般的に使われる「国の借金」というのは、上記の「日本政府が日本国民に借りている借金」に該当する。 国の借金の94%は「日本政府が日本国民に借りている借金」、ということなのでそう言われても仕方がない。

日本は財政危機にならないのか?

2010年、ギリシャは財政危機になりましたね。 銀行からお金もおろせない状況。 キャッシュレス化が推奨されているし、ほとんどの資産を銀行に預けるようになっているしで、銀行に預けているお金が使えなくなってしまったら、今日の生活もままならない。 ギリシャと同じ状況になったら恐ろしいかぎりだ。

日本政府の借金も増加傾向にあるので、「ギリシャと同じ状況にならないか?」というところが不安だ。

状況整理...

ギリシャの場合

国債の多くが、高金利な他国からの国債である。他国からの国債が高金利なのは、返済時に両替が必要になるため。

日本の場合

国債の多くが、低い金利な国民からの国債である。国民からの国債が低金利なのは、返済時に両替が不要なため、かつ国民と政府は家計が同じなので無闇に金利を上げられないため。 また、日本政府は実質資産(土地や建物など)をたくさん持っているので、いざと財政危機に陥るぞというときに現金化してその資金を国債の返済に当てられる。

だから、日本政府はギリシャ政府のような財政危機には、いまだ陥らないわけだ。 こんなに国債を抱えて財政危機ではないとは言い難いけどね。

国の借金1062兆円 「国民1人当たり837万円」の誤解 | ZUU online


追記(2020/4/15)

twitterで 「#財政赤字は国民黒字」 ってタグを見つけた。 確かに。

この動画も参考になった。